使い所のない容姿

使えません。

二郎系ラーメンのヤサイ少なめ

a3paperと申します。

二郎系ラーメンが好きです。

僕は若い頃、二郎系ラーメンはヤサイマシ、もしくはマシマシでいただくことが多かったです。

理由としてはヤサイマシの方がお腹がいっぱいになるからです。「お腹がいっぱい=幸福」と考えているのでコスパを重視した結果、ヤサイを増すことがもはや当たり前だと考えていました。正直、ヤサイ少なめやヤサイ抜きを頼む人はどこかしら(主に頭)に不調があるレベルだと思ってました。

 

ある時、朝ご飯の食べ過ぎか理由は何か忘れましたが、友人と二郎系に行った際に「ヤサイ」を「少なめ」にすることがありました。ふつうならあり得ません。そもそもこの時、僕はラーメンに対してコンディションを整えていないことが一種の恥、無礼だと考えていました。

 

その後、恥から生まれたラーメンが来たのち、恐る恐る食べました。

 

美味い…これまでの「ヤサイマシ」が脊髄を通って脳に美味いという信号を送っていたのならば、「ヤサイ少なめ」は明らかに脳に直接に届く旨さをしていました。はっきり言って麻薬レベルの中毒性だと思います。脳が狂うかと思いました。

この理由は一度の咀嚼に対する麺の密度の違いだと思います。太い、噛み応えのある麺が感覚、味覚の両面から脳に対して「これは馬鹿みたいにうまい!!」という信号を発し続けていたためだと考えています。

 

現在はヤサイ少なめやヤサイふつうを頼んでいます。寧ろヤサイを増す方が麺に失礼と考え始めたためです。

 

最終的にはヤサイ抜きを頼みたいですが、これは流石に体に良くなさすぎるので、人生がどうでも良くなったときにでも試してみようと思います。

 

駄文失礼しました。